みなさまこんにちは。「こると新聞」編集長のだいすけです。
「知らなかったオヤジの偉さ」
私のオヤジは酒のみで、金にもだらしない人間でした。
そのことが原因で夫婦喧嘩が絶えず、私はオヤジが大嫌いでした。
オヤジは当時(昭和30年頃)、繊維会社の人事課で働いていたのですが、会社で問題を起こして解雇同然になり、小2の時に引っ越すことになりました。
それからの生活は、家庭環境の悪化で最悪のものとなっていきました。
そんな訳で、私の兄・姉たちは卒業をすると同時に家を出て行きました。
私は中学生頃から、そんなオヤジに暴力を振るうようになりました。
困ったオヤジは度々、町の相談所へ行っていたようです。
中学を卒業した頃に、オヤジは家族の誰もいない時に、アパートの共同トイレに行く途中で倒れて亡くなってしまいました。
葬式の時に、オヤジに「金を貸していた」と、同職場の人に催促されたほどでした。
尊敬できない、どのように思い返しても“しょうもないオヤジ”でした。
やがて、私も結婚をし、3人の子の父親になりました。時は過ぎ、私は50歳を越える年齢となった頃に、この地域一帯がニュースで大々的に取り上げられる災害に遭ってしまいました。
それでも、多くの方々の援助で、立ち直ることが出来ました。
それから半年ほど経った頃に、オヤジが当時、勤務していた会社へ、嫁いでいた姉から電話がありました。
姉の話によるとこの前、年老いたご夫婦が訪ねて来てこんな話をされた。
『私は20歳の時、お父さんの勤めていた会社に面接に行きました。しかし、私は戦争で手に障害があったので採用は無理なようでした。その時に人事課の課長さんであったお父さんが、上司に、何とか採用してほしいと熱心に頼んでくれたお陰で今日まで生きてこられたのです。』
さらに話を続けて『会社で問題を起こしたとされた事件もお父さんを解雇させたい人達の策略だったのです。
引っ越されてからも、風の便りでお父さんやご家族のことは気にかけておりました。
お父さんが亡くなられたことも知っていました。お礼を言わないままに、この歳になってしまい申し訳ありませんでした。
恐らく、この前の災害で、ご家族が罹災されたのではないかと思い、この機会に、一言だけでもご家族の方にお見舞いと過去のお礼を告げたいと、夫婦で思い切って訪れさせて頂きました』と言われた姉は『そんなことがあったなんて知らなかった』と電話口で語りました。
私も、驚きましたし母からも聞いたことのない話でした。
大嫌いで軽蔑すらしていたオヤジに対して、少し尊敬をするようになりました。
心に残るいい話 三重県 ヤマモミジさん 50歳 男性
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